| 平成17年10月5日 | ||
2005年9月11日は、私のこれまでの人生の中で最も悔しくかつ辛く切ない日となった。 自ら選対委員長として説得し擁立した候補者や仲間たちがバタバタと倒れていくさまを目の当たりにし、身体が引き裂かれるような思いになっている。候補者擁立の責任者として申し訳なかったと思う。ただ、候補者擁立に何か問題があったのかと反省してみるが、今なお「総選挙時点で考えられるほぼベストの候補者たち」であったと考えている。強いて挙げれば、比例名簿をより有効に活用する手立てがあったはずという点か。 では何が敗因か。各論で2点。 第1に、「改革の旗」を小泉自民党に奪われたことである。政府の郵政法案に対する民主党の対応は完全に「易きに流れた」。その結果、スキを衝かれた。 第2に、メディア戦略で負けた。しかし、担当者も気の毒だ。党の広報・メディア戦略の組織体制自体にその場しのぎの感があったことは否めない事実だからである。昨年の参院選で民主党に負けた自民党がこの部分を強化したことは明らかである。 さらに決定的であったことは、自省も込めてであるが、「解散の時期を見誤った」ことである。来年秋の解散の想定で、民主党は全てを準備していた。候補者擁立・目指すべき社会像・課題設定etc.。岡田代表は、公務員の人件費削減問題もこちらから打って出る準備をしていた。
ピンチは最大のチャンスである。民主党新生の第1ステ-ジは43歳という若い前原代表の誕生である。私は代表から幹事長代理を頼まれ、固辞したが、結局お引き受けした。反省ばかりでは次の展望は開けない。 衆議院議員 玄葉光一郎 |